平成15年4月8日

あっせん申請の代理権に対する意見書


全国青年社会保険労務士連絡協議会

会 長 河 野 順 一


 
昨今の経済状況は厳しさを増している。銀行の不良債権の処理は一向に進まない。そのため、取り立ても厳しくなり、中小企業の中には、廃業に追い込まれるところも増えている。そのため雇用環境も悪化し、失業率も上昇している。事業主にとっても・労働者にとっても、余裕のない状態が続いている。巷では、退職金も満足に払われないといったケースも出てきている。そのため解雇をめぐるトラブルや過労死の問題など、労使間の紛争が増えてきている現状があり、訴訟に発展するケースも増えてきている。

そういった中で、20034月から社会保険労務士の業務に「個別労働関係の紛争の解決の促進に関する法律第6条第一項の紛争処理委員会における同法第5条第一項のあっせんについて、紛争の当事者を代理すること(以下「あっせん代理」という)」が追加された。そのため社会保険労務士は、紛争当事者から授与された代理権の範囲内で、あっせん期日における意見陳述、あっせん案の提示を求めること、あっせん案の受諾及びあっせん申請の取り下げを行うこと等の行為を行えることとなった。さて、平成15年2月20日に厚生労働省大臣官房地方課労働紛争処理業務室長発都道府県労働局長総務部長宛事務連絡(社会保険労務士法の一部を改正する法律の施行に伴う個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律にかかわる社会保険労務士の業務範囲について)によると「紛争調整委員会におけるあっせんでは、あっせん期日当日に和解契約が締結されるため、あっせん期日は原則一回の開催で終了する。あっせん期日に行われる和解契約の締結は、あっせん委員との間で交わされるものではなく、紛争当事者の間で交わされるものであり、個別労働紛争解決促進法上のあっせん手続外の法律行為である。したがって、和解契約の締結は社会保険労務士が行えるあっせん代理の権限外の業務となるため、社会保険労務士は、業務上、代理人として和解契約を締結することができない。そのため、『あっせん期日当日に和解契約の締結を予定する場合、実務上、社会保険労務士は、あっせん期日に紛争当事者を同行することが必要となる。』」という解釈を行っている。これはひどくおかしな話である。理由は3つある。

1 国民の利便性

(1)制度の問題点

 まず、一つ目は、国民の利便性をまったく無視しているという点である。依頼者はあっせん手続において和解契約にいたる前段階まで社会保険労務士に依頼していても、肝心の和解契約のときには自ら出頭しなければならない。これは常識で考えてもおかしなことであるし、また、大変不便なことである。たとえば、あっせん申請を依頼されて、事務手続きを行っていた場合、あっせんが進み、いざ和解契約を締結する段階になると、依頼者を代理することができないのである。つまり、依頼者(国民)の立場に立てば、よくわからない現象がおきているわけである。せっかく社会保険労務士に細かい事情を説明し、苦労して手続をしてもらったとしても、和解契約の段階になると、依頼者は自分で契約を締結するか、法律行為の代理はできるが、労働問題については門外漢の弁護士に、また一から事情を説明し直して、新たに高額の費用を払って依頼しなおすしか手がないのである。こんな国民の利便性を無視した制度があるであろうか? もっとも、民法上ならば、一自然人として、依頼者に代わって和解契約の締結を代理することもできる。それはそれで法律効果として認められるわけだが、社会保険労務士という国家資格者がいちいち民法上の代理に切り替えるというのは不合理である。また、その場合、業とすることができないので、報酬も得られない。その上、社会保険労務士を名乗ることもできない。一方、他士業者はどうであろうか。司法書士、税理士、弁理士などはその専門の業務にかかわる代理を行っているのである。そのことを考えると、社会保険労務士という専門家が、その専門の分野の業務で依頼者に代わって、代理ができないというほうが、むしろ不自然であり、国民の常識や利益から乖離した状態にある。この制度では、依頼者を二階に上げておきながらはしごをはずすようなもので、国民の利便性を損なうものである。

 

(2)弁護士側の問題点

また、最初から和解契約を締結することまで依頼するためには、弁護士に依頼しなければならないことになるが、これも国民の利便性を損なうことである。   

まず、弁護士側の問題がある。労働関係諸法令に精通している弁護士は全国でも50人に満たないという話しを聞く。さらに弁護士の5割が専門性がないと自ら認めているのである。それ故に、特別法である労働基準法の規定に気付かず、なんでも一般法である民法の規定によって問題を処理する弁護士も少なくない。具体例を挙げると、使用者が、労働者を解雇する際には原則として30日以上の解雇予告期間を必要とするほかさまざまな要件が必要なのだが、こうした場合であっても労働法に疎い弁護士は民法の契約の一般原則を適用し、二週間の通告で足りるとしてしまうのである。これはやや極端な例であるが、程度の差こそあれ、この手の話は枚挙に暇がない。

(3)選択の自由の制限

 また、国民の側の問題として、選択の自由を侵害されている点も挙げられる。国民にも選択する権利があるのである。国民は、費用が高くても弁護士のほうが信頼できるというのであれば、弁護士に依頼すればよいし、費用が安く済むに越したことはないというのであれば、当該紛争の原因となる法律を専門に扱う他士業者に依頼すればよいのである。仮に、費用を安く抑えて弁護士以外のものに依頼した結果、失敗したとしてもそれは本人の自己責任の問題である。そういった問題に行政が介入して、国民の自由を制限するというのは不合理なのではないだろうか。まさに国民は、行政によって、不当に選択の自由を制限されているといえる。

(4)社会保険労務士制度の意義

それから、社会保険労務士の制度はいったい誰のためにあるのかということも考えなければならない。単に行政事務の負担軽減のために存在するのではないのである。社会保険労務士は的確な手続によって国民の権利の確保を実現させるものでなければならないのである。あっせん申請の和解契約はあっせん申請手続きと関連してなされるものだから、和解契約に至る前手続を通じて具体的事情を知っている代理人・社会保険労務士によって和解契約が取り交わされることが、国民の利益にかなうことなのではないでだろうか。

2 代理の本質

(1)拡大と補充の原則

2つ目には、民法の代理の本質に反しているということである。 代理の本質とは「拡大と補充の原則」である。あっせんを代理するからにはこの原則に当てはめて考える必要がある。最後の和解契約の締結には本人が出頭しなければならないというのであれば、これは不完全な「拡大と補充」だといわざるを得ない。代理の種類のひとつに任意代理があるが、これは私的自治の範囲の拡張としての代理ということができる。これはたとえば、会社が東京でも大阪でも営業活動が行えるというのは、「拡大の原則」のあらわれである。今回の件について言えば、遠隔地で行われるあっせんの場合、本人が出頭するには大変な労力を必要とするし、出頭できない場合もある。こういった場合に本人が出頭することが必要になってしまうと、「拡大の原則」が十分に発揮できないということになってしまう。また、専門的知識・経験を理由に他人に代わってもらう代理という側面もある。これは本人自身が意思表示をすることは可能だが、いろいろな理由から他人に意思表示をしてもらうというものである。補充の原則に当てはめても同じことが言える。法律に疎い人たちを補佐してあげるということが補充の原則である。これを今回の行政通達の解釈について考えると、和解契約を締結できないとすると法律に疎い人たちを補佐するということがまっとうできないのではないだろうか。したがって、代理の原則のひとつである「補充の原則」を満たさないのではないだろうか。それから、法の無知に付け込んで事件屋が入ってくるなどして法律に疎い人たちを食い物にすることもある。そういう場合に善良な国民を守るのが我々士業者の役割なのである。いまのままでは、その役割を全うすることができないと考えている。

(2)憲法に由来する代理権

 また、なにより、社会保険労務士に付与された代理権は、国民の権利を擁護するためのものである。基本的人権を保障する憲法の究極の目的は「国民が幸福に生きること」の実現であると考えられる。それを担保する規定のひとつに「勤労の権利(27)」がある。この憲法の規定を具体化したもののうちに労働基準法をはじめとした労働関係諸法令がある。

われわれ社会保険労務士は労働問題に深くかかわる士業である。そして、労働関係諸法令のスペシャリストである。だから、われわれ社会保険労務士は憲法の権利を実現するためのスペシャリストであるといえる。したがって、この代理権は憲法の根拠に基づくものであり、憲法に劣後する法律によって、その原理を不当に曲げられてはならないのである。すでに述べたが、代理権には補充の原則がある。法律に疎い人が権利を実現するという自らの幸福を追求するためには専門家の助けは不可欠である。ようするに、代理の本質は国民の幸福追求権を実現するための道具であり、国家権力がこの道具を国民から取り上げることは憲法に違反しているといえる。憲法に優先する法令はないのであり、これに違反する行政行為は無効なのである。このことからも、今回のあっせん代理における和解契約の代理権を制約することは憲法の趣旨に反するということができる。

また、今回の行政通達では、あっせん制度とはあっせん案の提示までと解釈しているが、利用者にとってのあっせん制度とは、最終的な解決、つまり、場合によっては和解契約の締結までを言うのではないだろうか。すでに述べたが、これを弁護士法72条によって制限するというのは国民の利便性も損なうし、また、後述するが、時代の流れにも逆行しているのではないだろうか。このように考えたとき、当の通達にも社会保険労務士は紛争当事者を代理できるとされているのに、「和解契約は紛争当事者の間で交わされる〜(中略)〜したがって、社会保険労務士は和解契約の締結を行うことができない」(社会保険労務士法の一部を改正する法律の施行に伴う個別労働関係紛争の解決の促進に関する法律にかかわる社会保険労務氏の業務範囲について)という考え方では、国民の利便性を著しく損なうのは火を見るより明らかである。いったん社会保険労務士を紛争当事者としておきながら、最後で紛争当事者ではないといっているのである。これは矛盾している。

3 法律に優劣はない

 3つ目は、すでに少し触れているが、法律の間には上下がない、という点に反していることである。

(1)社会保険労務士法と弁護士法とは対等である

和解契約が法律行為だから社会保険労務士には代理できないというのは、弁護士法72条を念頭においていることが考えられる。さて、弁護士法が制定された当初は事件屋などの悪質な業者から国民を守るために、法律行為を行えるものを制限することは必要なことだった。しかし、現在ではそういった意味での存在意義が薄れている。また、社会保険労務士法も弁護士法も対等なのである。対等であるはずの弁護士法によって、社会保険労務士法が制限されるというのはいかがなものだろうか。さらにいえば、今回の和解契約を制限しているのは単なる「事務連絡」にすぎない。法律のピラミッドを思い浮かべてほしい。憲法を頂点として、その下に法律、以下、政令、規則、通達となっている。法律は通達よりも上位に位置しているのである。その法律が通達どころかただの「事務連絡」によって制限されるというのはあまりにもおかしいのではないだろうか。

(2)代理権を制限する背景

 また、平成10年に社会保険労務士に審査請求の代理権が付与されたが、このことを考えると、あっせん申請の和解契約が代理できないというのも不合理である。審査請求の代理権は弁護士法72条に触れないのに、なぜ、あっせん申請の和解契約の代理権は弁護士法72条によって、制限されるのだろうか?

これについては審査請求の代理権を獲得したときの事を考えなければならない。このときは政府は社会保険労務士試験を社会保険労務士自身に行わせる代わりに、審査請求の代理権を与えるという取引を行った。そして、このときは政府提案で立法されたので、すんなりと法律が成立した。このように、役所の都合によって、権限を与えたり、与えなかったりするというのは、利用者(国民)のことを考えていない恣意的な法改正といってもいいのではないだろうか。また、弁護士法72条を理由にはしているが、それは表向きの理由であり、本当の理由は、行政が権利を制限したいからというものではないかとも考えられる。これは厳密に言えば、三権分立に反しているといえる。行政が恣意的理由によって、立法を制限しているのである。また、社会保険労務士も法律家である。したがって、三権のひとつである司法の担い手である。このことを考えると、行政の恣意的な理由によって、司法権も制限されているのである。これは国家の根本にかかわる重大事項である。

(3)司法制度改革との関連

 さらに、現在は司法制度改革が進行中である。司法書士が簡易裁判所での訴訟代理権を獲得し、弁理士、税理士が訴訟において補佐人となることができるようになった。このように、今まで弁護士法72条によって制限されていた業務が、隣接士業に解放されてきている。このような中、今回のようにあっせん代理において社会保険労務士が和解契約に関与できないということは司法制度改革という時代の流れに反することなのではないだろうか。個別労働紛争の解決のための和解契約である。まさに社会保険労務士の専門分野である。社会保険労務士に代理権を与えることは大変有意義である。くどいようだが、特定の法律についてはその専門家である法律家に委ねるべきなのである。

4 今回の問題点

つまり、繰り返しになるがあっせん代理を社会保険労務士に行わせるのであれば、あっせん申請の最終段階における和解契約を社会保険労務士が締結できるようにするべきである。そうすることにより、国民の利便性も向上し、司法制度改革が目指す方向性にもより合致した制度となるのではなかろうか。社会保険労務士は労働問題の専門家である。個別労働紛争の処理については、その分野の専門家である社会保険労務士に任せることが、労使トラブルに悩む人々にとって、望ましいことであると確信する。