隣接士業が簡裁の訴訟代理を行うにあたり、弁護士を中心として異論が唱えられている。これらの異論の根拠について一つずつ個別に検証し、隣接士業に訴訟代理権を付与することの是非を考察してみた。結論から述べると、わが国の健全な司法制度改革のためにはこれらの訴訟代理権付与は必須であると思料する。
再度考えたい。簡裁での隣接士業の訴訟代理を認めようとする動きの発端を。それにより、国民の裁判を受ける権利の拡充を図るという目的を。
以下それを検討する。
Q1 本人訴訟根拠論に対する疑問
簡裁の訴訟は本人が行うのが建前であって、弁護士はこの代理をやりたがらない。なぜやらないのか?その理由は、主に弁護士の報酬は訴訟額によって決まるためであり、少額の訴訟を弁護士は避ける傾向にあるからだと思われる。
そもそも簡裁での隣接士業の訴訟代理を認めようとする動きの発端は、弁護士不在の簡裁レベルの少額訴訟に、国民に身近な法的サポーターを置いて簡裁を利用しやすくすることであり、それにより国民の裁判を受ける権利の拡充を図ることではなかったか?提訴する国民、本人訴訟を扱う簡裁、そして弁護士の立場からそれぞれの現状を考察してみよう。
まず国民の側からすれば、いくら簡裁が少額訴訟であり本人訴訟が原則といえども、生涯に何度もないトラブルに自らが裁判を起こそうとする者ばかりとは考えにくい。裁判といえばすぐ思いつくのが弁護士ではあるが、「費用は高い」し、「時間はかかる」し、なんといっても「敷居が高い」といったイメージが、弁護士に訴訟代理を依頼する気持ちを鈍らせる。仮に依頼し、裁判に勝ってなにがしかの金銭を得たとしても、弁護士費用を差し引けば手元にはわずかしか残らない。下手をすると持ち出しかもしれない。とすれば、よほどの感情的なトラブルでもない限り、訴訟を断念して泣き寝入りを決め込む国民も少なくないはずである。オール・オア・ナッシング。裁判を起こすのは自分か弁護士に依頼するかの二者択一でしかない現状で、本人訴訟が9割以上を示す数値は、簡裁事件におけるこのデーターの数倍かの法律事件が、専門家の判断を受けずに放置されている実態を容易に推察させる。
現行法下、本人が他人の「誰にでも」訴追行為を委任できるわけではなく、その他の他人は、必ず弁護士でなければならないという弁護士代理の原則が採られている。したがって、前述のような事態に陥っているわけなのだ。この原則とされる二本柱は「依頼者本人の保護の要請」と「訴訟の円滑な運営を可能にするという要請」である。司法改革の審議の場では、隣接士業の訴訟代理付与の条件とし、これら二つの要請に応えられるかどうかが焦点とされているのだが、果たして弁護士でさえこれら国民のニーズに十分応えているとは言いがたい状態である。
次に、簡裁での本人訴訟の事務の煩雑さである。特に裁判所の書記官にあっては、訴えたい事件の根拠法令に加え訴訟技術にも全くの素人に対し、その主張を引き出し争点を浮き彫りにし裁判にあった形式での調書等を作成することは、端で考えるより難儀であろう。限られた数の職員で、本人訴訟の件数が多くなればなるほど煩雑さが増し、裁判の迅速化と反比例するのは自明の理である。
最後に弁護士の立場からである。建前は「簡裁の原則は本人訴訟だから弁護士が関与するまでもない軽易な事件である」ということであろうが、本音は簡裁で扱う事件は少額訴訟のため「労力に見合った報酬が望めない」というところであろう。業務の独占を行うのであれば、当然に業務を遂行する義務も負うべきである。こうした当たり前のことすらできないようでは訴訟代理権を弁護士の完全な独占業務とすべきではない。もっとも、弁護士にも利益を追求する権利はあるのだから、これを尊重したうえでの、事態の解決が望まれる。
以上、それぞれの立場により簡裁が有効活用されない図式ができあがっている。そこで簡裁の訴訟代理に隣接士業が活用されれば、三者三様それぞれメリットが生まれる。まず国民であるが、弁護士以外の専門家に法律相談に乗ってもらえるという選択肢が増えることになる。結果として訴訟が身近となり、裁判を受ける権利が擁護されやすくなる。
次に簡裁である。弁護士が関与しないのであれば、彼らにとって法律専門職の手助けは、願ってもないものとなるはずだ。仮に隣接士業に訴訟代理権が付与されたならば、最初は裁判にあった形式での調書等を作成することには不慣れであったとしても、法律専門職たる隣接士業は、本人が訴えたい事件の根拠法令に関してはプロであり、本人の主張を引き出し、争点を浮き彫りにするところまでは完璧に行えるからである。そして経験を重ねるうち、訴訟追行能力もアップするに違いない。
最後の弁護士であるが、実入りの悪い少額訴訟代理を隣接士業が肩代わりすれば、簡裁には隣接士業が適当だからと、引きうけない旨の大義名分がたつということになる。
これにより簡裁が有効活用されたとするならば、国民の司法に対する信頼度が飛躍的にアップすると言うものであろう。
止まれ!ここで慎重に考えなければならないことは、果たして代理権付与時における隣接士業の訴訟の追行能力なのであろうか?言いかえるなら実入りが悪く弁護士がやりたがらない訴訟代理を行わせるにあたり、弁護士と同等の知識や訴訟技術が、最初から隣接士業に必要かという議論である。業として行う以上、隣接士業とてまた法律家としての威信にかけて最善を尽くすはずである。たとえ訴訟技術は未熟であっても、証拠の収集や主張の責任、裁判長の説得に関しては弁護士に勝るとも劣らない活躍で、当然のことながら本人以上に使命感を持って常にあたるはずである。これまで多くの弁護士が見向きもしなかった部分に、国民の権利擁護の使命感から、法的専門性を持った隣接士業が持ち出し覚悟で参画しようとする時、なぜその意を挫くような、高いハードルを掲げなければならないのか理解に苦しむ。厳格な資格試験と徹底した研修の履修までして、ボランティアをする奇特な人を隣接士業に多く望むのは酷というものではないか。あえて司法試験レベルの勉強をするならば、隣接士業にとどまるより、その権能が多く与えられた弁護士に転向した方がよいと考えるのが大勢であり、自然ではなかろうか?
このような理由から、せっかく隣接士業に対して訴訟代理権が付与されたとしても、厳格な資格試験等を義務化したならば実際に名乗りを上げる隣接士業者がおらず、機能不全、机上の空論化することを懸念するものである。
Q2 弁護士過疎地域論に対する疑問
弁護士過疎地、地域偏在を隣接士業の訴訟代理権付与の根拠とする場合、弁護士が充溢している大都市では必要ないのではないか、という疑問がある。
現在、弁護士過疎地・地域的偏在は地域住民にとって深刻な問題とされている。ここで確認しておかなければならないのは、「過疎・地域的偏在」の定義である。上記で論じられている弁護士の過疎・地域的偏在とは、一定面積、あるいは人口に対するその地域で登録する弁護士の割合が、過少傾向にあることとされる。しかし、本来簡裁における訴訟代理で論じられる弁護士とは、一定面積、あるいは人口における実動員でなければならない。言いかえるならば、住民のニーズにどれだけ動いてくれる弁護士がいるかということである。
したがって、東京や大阪といった大都市には確かに弁護士として登録した者は充溢するが、こと簡易裁判所における少額訴訟に限れば、本人訴訟が全体の9割以上というデーターからして、過疎としかいいようがない。実際に依頼できる弁護士がいなければ、いないも同然なのである。大都市とて弁護士過疎地なのである。簡裁への弁護士関与率が1割未満であるということは、住民の要請に十分こたえているとは言いがたい現状が、客観的事実として照らし出されている。
以上の結果から、「大都市では隣接士業の訴訟代理権は必要なく、弁護士過疎地域に限る」とする理論は、問題のすり替えであり、一般論で言われる過疎・大都市の別なく隣接士業の訴訟代理権は必要とされるのだ。
Q3 簡裁事件の少額・単純根拠論への疑問
当初簡易裁判所が設置されたのは、「地域住民のための日常事件を扱う裁判所」として、通常の地方裁判所とは異なった独自の機能を持たせるはずだった。しかし、実際には小型の地方裁判所と化してしまっている。それゆえ、本来は特殊専門的な知識と技術は必要とされない簡裁事件でも、不法行為や、損害賠償事件等、熟達の弁護士でもてこずるような内容もある。そうすると簡裁事件は単純・一様であるとばかりは言えず、隣接士業に訴訟代理権を承認するにしても、それ相応の慎重さが要求されるのではないか、という問題である。
まず現状の、小型の地方裁判所と化してしまっている簡易裁判所のあり方を是認して放置するということは許されないと考える。簡易裁判所の本来の設置目的である「簡易な手続きにより迅速に紛争を解決する(民訴270条)」という制定趣旨に沿い、「通常の地方裁判所とは異なった独自の機能を持たせる裁判所」としての位置付けに軌道修正すべきなのだ。
本来、簡裁事件は弁護士がいなくても行うことができるだ。弁護士がいなくても裁判官はちゃんと国民を相手にしてくれるのだが、多くの人は法律を知らないと裁判が戦えないと思っているふしがある。実際は、裁判官が法律を知っているから、本人が法律を熟知していなくてもかまわないのだ。
このような話もある。簡裁における金銭消費貸借事件で、一方の当事者が弁護士をつけずに裁判に臨んだ。裁判官がこの人に弁護士をつけるようすすめると、弁護士を雇う金がないという理由でこの人はこれを拒否し、審理が始まった。しかし、この人は訴訟の進め方は全くの素人であったため、しばしば裁判官が説明をしなければならない。そのうちとうとう裁判官はやっていられなくなり、相手方の弁護士に和解をするよう圧力をかけたとのことだ。
このようなケースはしばしば起こっており、簡裁における訴訟で弁護士に訴訟代理を依頼することの意味が失われつつあるといえるのではないか。
確かに、簡裁において難解な事件が扱われることも皆無とはいえない。しかし、そうしたものまで隣接士業に行わせることは誰も要求していないのだ。例えば、ちょっとした擦り傷ができた場合には誰も病院へ行こうとは思わず、自分で何とかしようと考えるだろう。一方深い傷を負って出血が止まらないような場合には誰しも自分で何とかしようとは思わず、速やかに病院へ行くだろう。このように、自分(本人)で何とかなるものは自ら処理し、自分の手に負えないものであれば然るべき者に委ねるのは理の当然である。簡裁における訴訟も同様だ。隣接士業の手に負えない案件であれば、当然弁護士に委ねることになるだろう。
したがって、簡易裁判所の異常な状態を常態として、それに見合う本来必要とされる能力以上のものを要求し、それを理由に、隣接士業の訴訟代理権を否定することは排除の理論としか言えないであろう。
逆に、法律全般を扱う弁護士ではなく、特定の法律の専門家だからこそ適切な問題解決を計ることができる場合もある。例えば、社会保険労務士の専門分野である、労働関係諸法令に精通している弁護士は全国でも余り多くないと聞く。それ故に、特別法である労働基準法の規定に気づかず、何でも一般法である民法の規定に拠って問題を処理する弁護士も少なくない。これでは司法制度が十分に活用されているとはいえないだろう。
具体例をあげると、労働基準法第19条では、労働者が業務上災害で負った負傷等の療養のため休業している場合には、その休業期間中及びその後30日間の解雇を制限している。この規定にもかかわらず、筆者の顧客先の顧問弁護士は、この休業期間中に解雇を通告する内容証明郵便を送るよう指導するといったことがあった。もちろんこれは打ち切り補償を支払うなどの例外的な事情があったものではない。ややこれは極端な例ではあるが、実際、こうした事例はよく見受けられるようだ。やはり「餅は餅屋」というように特定の法律については、その専門家である法律家に委ねるということも考慮されるべきだ。
Q4 自主的懲戒権の欠如論に対する疑問
弁護士は国を相手に対立・抗争することを想定されているため、弁護士会は国から独立した自主的懲戒権を持つ。これに対して、隣接士業者は国の行政の一環としての業務を行うため、国を相手に対立・抗争することを想定しておらず、その業務に関しては国による監督を受け、懲戒権を持つのは主務官庁とされている。したがって隣接士業は自主的集団とみなされないため、訴訟代理権を承認することはできないのではないか、との指摘である。
国とてその判断のすべてが、正しいというものではない。法律家たる隣接士業者は、国民の権利擁護のため、国を相手とした対立・抗争の可能性も否定できない。仮にこの対立・抗争をもって、国が当該隣接士業者を懲戒処分したとするならば、その行為は不当であり懲戒権の乱用と言わざるを得ない。当然許されない処分である。
また、隣接士業者は国の管轄下にあるため、自主性がなく、独立した懲戒権を持たないので、訴訟代理権は付与されないという理論もとり沙汰されているが、これにも合点がいかない。なぜなら、既に社労士をはじめとした隣接士業の多くには審査請求の代理権が付与されているからである。審査請求の代理権は、行政等の処分を不服として依頼人に代わって隣接士業者が行うものであり、まさしく国に対する物言いである。国から独立した立場でなければ、とうてい当該代理行為は行えないはずである。不服申立代理を認めておきながら、訴訟代理は認められないのではあきらかに均衡を失しており論理の矛盾である。
しかも、バブル経済の崩壊以降、弁護士の引き起こす不祥事は目に余るものがある。「整理屋」となり、多重債務に苦しむ人を食い物にする弁護士も少なくはない。ここ数年来、金絡みの罪を犯し、実刑判決を受ける弁護士が急増している。無論世の中の弁護士すべてがそうであるとはいわないが、社会正義・人権を標榜する日本弁護士連合会にして実態はこうなのだ。元東京地検特捜部長河上和雄氏も指摘する通り、暴力団を除いて毎年これほどの逮捕者を出す組織は他にないだろう。弁護士会の機関紙「自由と正義」には、毎号10ページにもわたって懲戒処分者の発表がある。それだけ自浄能力が高いという見方もできるが、やはりこれだけ不祥事が多いと安心して弁護士に仕事を依頼することはできないということなろう。そうであれば、自主的懲戒権以前に業界の体質の問題を問われるべきであろう。
Q5 弁護士過剰論に対する疑問
今後の司法改革において、相当数の弁護士人口の増加が見込まれており、弁護士過疎地域についても次第に解消の方向に向かうはずである。したがって弁護士と制度目的の異なる隣接士業に、訴訟代理権を認める必要はないのではないかという意見がある。
司法試験の合格者は、少なくとも現在の1000人から1500人、そして2000人とすることが取り沙汰されている。さらに法曹一元を前提にした3000人案も提出されている。しかし、仮にこれらの法曹資格の取得者すべてが弁護士になるとしても、年間で2000人で10年で2万人であり、現在の17000人がそのまま活動しているものと仮定しても合わせて3万7千人である。これでは全国平均で国民7500人あたり1人である弁護士がせいぜい3000人に1人になる程度である。欧米の700人に1人とか900人に1人という割合にはとうてい追いつけるものではない。
弁護士数が多くなるといっても、このようにたかが知れている。ここ数年の間に弁護士過剰となり、隣接士業の手を借りずに、国民のニーズに十分応え、簡易裁判所での訴訟を追行するようになる、などという確証はどこにもない。したがって、漠然と弁護士人口が増えることを想定し、安易に隣接士業に対する訴訟代理不要論を説くことは、弁護士不在という国民の裁判を受ける権利の窮状を打開する方向から、大きく外れることになる。
Q6 訴訟追行能力の不足に対する疑問
日弁連は、隣接士業が日常的に法廷の場で訴訟という具体的紛争に関与しているとは考えにくいし訴訟性を持っているものについては教育を受けていないと主張している。したがって、仮に隣接士業に訴訟代理権が付与されたとしても、訴訟代理を弁護士のようにスムーズにこなすことができないのではないかと思料している。これは弁護士のみならず国民共通の不安であり、司法書士にあってはそのアンケート調査に半数近くが「法廷活動には自信がない」とその実態をのぞかせていることを鑑み、このような実態の隣接士業に訴訟代理を任せるのが妥当か、との指摘がある。
多くの司法書士が、訴訟について自信がないとアンケート(法律新聞1383号)に回答しているが、これは無理からぬことである。なぜなら、これまでの司法制度の中で、訴訟業務は弁護士のみが行える固有の業務であり、その他の士業が行うことなど予想だにしなかったからだ。しかして制度目的の異なりから、弁護士法第72条の存在により最初からやれないものとされていた裁判実務であったため、組織的で体系的な訓練を受けたくとも受けられなかったのだ。
したがって、予期せぬ訴訟の勉強をしていなかったとしても、隣接士業者は何の責めに帰するところもない。このまま訴訟代理権が与えられ、法廷で百戦錬磨の弁護士と対決せよといわれても、不安を感ずるのはいたしかたがないのである。だからといって隣接士業に簡裁での訴訟代理権を付与しないのが最善の策であろうか?「隣接士業には訴訟の追行能力が不足している」ということで、否定的な見解を推し進めてもそれに変わるべく打開策はない。何かを改革する時、当面の間は大なり小なりデメリットが発生するものだ。ここでは隣接士業者の訴訟技術の未熟さをさすのだが、現状に不都合があるため改革するのであって、軌道に乗った将来の展望を踏まえ当面のデメリットが国民の権利擁護に致命的な問題を引き起こすものではなく、かつ総体的にプラスに転じるのならば、英断を持って改革を推進すべきであると考える。
本人訴訟が大原則の簡易裁判所であるので、研修制度さえ充実すれば実体法には長けている隣接士業のこと、本人訴訟を補完して簡裁での活躍は十分期待できるというものである。
また一方で、日経新聞調査(平成12年2月12日版発表)によると、多くの弁護士は自らの職務に専門性がないと感じている。現代社会は複雑な法体系のもとに成り立っており、ひとりの人間が扱うことのできる法律の数には限界があり、オールラウンドプレーヤーなどが存在するはずはない。そこで特定の法律についての専門家が生まれたのである。社労士が精通する専門法分野である労働社会保険諸法令にかかる紛争は、現実問題として後が絶えない。規制緩和による自己責任の原則が徹底される時代が来れば、リストラ、労働災害、セクハラや過労死、そして年金の裁定や健康保険の給付に関すること等、今後もこの分野に起因した紛争の増加は避けられないだろう。現に、東京簡易裁判所における平成10年、1年間における少額訴訟の新受件数1417件のうち13.3%に当たる200件弱が労働社会保険関係事件であったといわれ、全国では少なくない数の労働社会保険関係事件があるものと推察される。
さらに、平成12年9月労働省個別的労使紛争処理問題検討会議で公表された統計によると、労働条件に不満を持つ労働者は全体の90.9%に達し、不満・改善要求を訴えられた使用者は90.9%に達している。しかるに、職場内でトラブルが生じた場合に訴訟を提起したいと考える労働者は15.3%、使用者でも17.1%しかない。このことは、労使とも訴訟に関し適切な相談相手を見つけることができないという実態を明らかにしているものと考えられる。
ここで、Q1に触れた弁護士代理の原則、「依頼者本人の保護の要請」と「訴訟の円滑な運営を可能にするという要請」を再考してみたい。確かにこれまでその業務に想定されていなかったのだから、隣接士業者は「訴訟の円滑な運営を可能にするという要請」と言う点には未熟である。しかし前者の要請について前述の6つの疑問を検証するに、必ずしも、弁護士がこの要請に応えているとは言えない。むしろ専門性、依頼に対する受託とった観点からとらえるならば隣接士業が優位とは言えないか。
様々な事実を勘案すると、弁護士代理の原則をことさら重視して隣接士業の訴訟代理付与の基準とするのはいかがなものか、という疑念が当然に生じる。
このような現況にあり、国民サイドから誰が親身に相談に乗り、弱者をしっかりサポートできるのかを総合的に討議することも、司法改革の重要な論点の一つであると考える。
Q7 弁護士法第72条根拠論に対する疑問
弁護士法第72条の規定により、弁護士以外の社会保険労務士ほか隣接士業者は、業としてこれらの法律事務を取り扱うことが禁じられている。
弁護士法第72条
「弁護士でない者は、報酬を得る目的で訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件その他一般の法律事件に関して鑑定、代理、仲裁若しくは和解その他の法律事務を取り扱い、又はこれらの周旋をすることを業とすることができない。但し、この法律に別段の定めがある場合は、この限りでない。」
しかし、弁護士法が制定された昭和24年当時は、他に適当な資格を持つ者がいなかったということもあり、国民の利益を守るという観点から、このような規定が設けられたのである。その後、社会のしくみはめざましく高度・複雑化し、労働・社会保険制度も専門家が必要となったため、昭和43年に社会保険労務士制度も創設された。憲法を頂点としたピラミッドの下、同列の法律の中に社会保険労務士法と弁護士法が存在し、相互の間に上下関係はないはずだ。したがって社会保険労務士の職域が弁護士法によって制限されるというのはその立法趣旨からしても不合理なのだ。
さらに社会保険労務士の場合、同条によって禁止されていた、
「審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件」を業として行うことができるようになっている。これは社会保険労務士法制定当初から明文化されていた規定ではなく、社会保険労務士がその専門知識を生かして国民の権利擁護を図ることこが社会的に要請されているということから、弁護士法第72条が存在するにもかかわらず平成10年に社会保険労務士法が改正されてできた規定なのだ。この立法趣旨からしても、弁護士法第72条は社会保険労務士に訴訟代理権を付与しないとする根拠にはなり得ないのではないか。
なお、平成12年11月8日に開催された衆議院労働委員会において塩田委員と吉川国務大臣との間で、次のようなやりとりがなされた。
(塩田委員)
「ご承知のとおり弁護士法第72条の規定では、社会保険労務士ほか隣接の士業者は、業として法律事務を取り扱うことが禁じられておるわけでございます。これにつきましては各方面からいろいろな意見が出ておりますし、社会保険労務士の皆さんも非常に希望しておられる。ぜひともこれを取っ払って、いわゆる垣根を低くして、規制緩和の上で、もちはもち屋と言いますね、労務あるいは保険関係につきましては我々に任せてもらいたいという切実な要望があるわけでございます。
商工委員会の場で前国会、弁理士法の改正をやりまして、弁理士の関係ではバリアフリーといいますか、みずからの業務については百億円規模だというのですけれども、その業務を開放するということ等、司法制度改革審議会が今法務省管轄で審議されておりますがそういった弁護士の業務についての見直しをやろうということで進められておるわけでございます。通産省をみておりますと、非常に熱心に弁理士の立場に立って主張し、かなり思い切った改革に踏み込んでおられる。それについては法務省あるいは司法制度改革審議会の方でも考慮をしようという動きも出ておるや聞いておるわけでございます。社会保険労務士につきましても、やはり労働省はもっと腹を据えてといいますか、本気になって応援をしていただきたいと思います。
これは言うまでもないことでございますけれども、簡易裁判所は、現在、本人か弁護士かということですね。ところが弁護士の数が少ないとか、いろいろな状況からいって、弁護士がタッチしているのは一割ぐらい、あとの九割は本人がみずから訴訟の場で争っている、こういうことなんです。そこにもやはり労働関係の問題が出て参ります。弁護士さんで対応できない場合もある、対応されてもできない場合もある、しかも人手が足りなくてなかなかタッチができない、こういうケースも起こっておるわけですね。
社会保険労務士さんは試験自体がレベルが高い、なかなか受からないということも聞くのです。また、通った人も会をつくって一生懸命研修をやり、資質を高めていっておられるといったことも、私自身よく見ておるわけでございます。
そういった状況の中で、社会保険労務士に訴訟代理権を付与することについて、どのように大臣として取り組もうとしておられるか、お伺いいたします。」
(吉川国務大臣)
「社会保険労務士の業務について、ご質問のように、労働社会保険諸法令に関する訴訟代理権を付与することとの要望でございますけれども、全国社会保険労務士会連合会からも出ていることは承知しております。
そこで、社会保険労務士の訴訟代理権については、現在、司法制度改革審議会において議論がなされているところでありますので、労働省といたしましては、社会保険労務士が有する専門的知識について関係各方面の理解が得られますよう、積極的に対処してまいりたいと考えております。」
(塩田委員)
「積極的に対処するということでございますので、それを信じて、ご期待を申し上げたいと思います。
ただ、先ほど申し上げましたように、弁理士の関係の通産省のバックアップの仕方はかなり強力なものがあります。労働省の場合も、
一生懸命やっておられると思いますけれども、いろいろなケースも集め、理論構成はもとより、この問題については司法制度改革審議会、法制審議会もありますけれども、政府として、労働省として、どうするかということをやはりはっきりと示し、関係のところあるいは国民に対しての理解を求めるということが必要だと思います。
弁護士さんといえども、弁理士さんも同じですけれども、特許の関係になりますと、弁護士さんは皆さん優秀でしょうから勉強すればできるのでしょうけれども、時間がかかる。やはり弁理士さんに出てもらって一緒にやるとか、あるいは弁理士さんにやってもらった方がスピーディーにいくし、また本当に本質がわかっているということがあるから、その面はある程度譲ろうという動きが出ておる。
社会保険労務士という現在の非常に複雑化している社会保険法規の関係、これはやはり社会保険労務士の方が、同じく、試験を受け、資格を取り、研修もして、経験を積み、また力量も持っておられる。そういうところに任すなり、一緒にやるなり、あるいは分野を決めてもいいと思うのです。簡裁の場合はこうだ、地裁の場合はこうだとか、とにかく踏み込んで進んでいっていただきたい、このように思います。
非常に難しい問題ではあると思いますけれども、弁護士法ができたのは戦後の二四年ですか、そのときに決められた規定です。そのころはまだ社会保険労務士もその他のものもなかったわけですね。だから、そういう規定になったと思うのですが、今や、社会保険労務士の業務につきましてこれだけはっきりした分野ができておる。これは、現在の状況に合わせて現実的に処理をしていく、規制緩和あるいはバリアフリー、垣根を低くして、できるだけ、やれる人、一定の資格を持った、要件を備えた人ならタッチできるようにやっていくのが、やはり自由化あるいは規制緩和の方向だと思いますので、その点をぜひとも十分に御理解をいただき、御検討いただき、そして、その実現のために力いっぱい頑張っていただきたいということを希望申し上げまして、終わります。」
こうした意見に代表される通り、社会保険労務士がこれからの司法制度において一定の役割を果たすことが期待されているといるのだ。
終 章
自己責任がより厳しく追及される時代に備え、社会保険労務士の守備範囲に関する国民の法的知識の補完が不可欠といえよう。また、今後の高齢少子・成熟社会への移行やグローバルスタンダードの導入を考慮すると個別的労使紛争は増加する傾向にあり、このような労使の紛争を可能な限り平和裏に調整するのは、まさに社会保険労務士の使命であるとといえる。それゆえ司法制度の分業化と、訴訟代理権付与はまさに時代の要請なのだ。
このような社会の動向を見据え、司法制度改革の議論が進められることを切に願う次第である。