1.法律家としての社会保険労務士
弁護士が「社会保険労務士」をテーマとして語るとき、憲法論から話すことがある。では、何故憲法なのか。社会保険労務士がテーマであるならば、労働基準法であるとか健康保険法など、他にもっと身近な法律があるではないかとお考えになる方もいらっしゃるだろう。にも拘わらず、あえて憲法について話すのは、社会保険労務士もまた法律家であり、法律家の思考の原点には常に憲法が存在するからなのである。
これまでにも私は何度も繰り返してきたことなのだが、社労士もまた法律家である。これを始めにはっきりさせておきたい。
昨年6月、自民党の司法制度特別調査会(以下「調査会」)が開かれ、「わが国において、国民のための法律家とは何か」ということが検討された。この中で、これまでの司法制度を抜本的に改革することが必要であると述べられているのだが、こうした重要な討議の場に社労士代表が招かれていなかったことに私はばずショックを受けた。弁護士をはじめ、弁理士、税理士、司法書士、土地家屋調査士、行政書士等各法律士業者の代表が招かれる一方、社労士だけかやの外に置かれた形なのである。この中では、こうした士業の業務を拡大するという提言がされた。これは、この場にいなかった社労士の独占業務が侵害されることを意味するのは明らかである。
では何故社労士がこの席に招かれなかったのか。
そもそも我々自身が法律家であるという自覚をもっていないことが一番の原因と考えられる。言い換えれば、我々の自覚の不足が今回の危機を招いたともいえよう。
社会保険労務士もまた法律家であるということを認識しておられない社会保険労務士の方があまりに多く、今後の社労士業界の将来に不安を持つ私としては、この辺りで警鐘を鳴らすべく今回筆をとったものである。
2.司法制度改革
国民が安全な生活を確保すること、経済活動が公正で円滑に行われることは、国家の基礎を形成し活力ある社会を維持するために不可欠であり、司法制度はこれを実現する手段である。
今後、社会の高度情報化・多様化・複雑化・国際化が一層進むにつれ、司法制度は益々重要な基本的インフラとして位置づけられることになり、その整備は急務である。
国際化が進めば、いずれの国も国際社会の中で平和共存していくために、グローバルスタンダードを確立する必要があり、我が国もまた例外ではない。すなわち、「公平で透明なルールと自己責任の原則を堅持しなければならないということである。
更に、規制緩和が進められていることからも、これまで以上に自己責任が強く求められることになるのだが、これまで保護されてきた国民にいきなり自己責任を求めるのは酷な話である。国民の日常生活、あるいは企業活動において発生し得る紛争を未然に防止するため、法律の専門家が事前に適切な助言・指導を行う態勢を整えることが自己責任を求める前提条件である。
つまり、規制緩和を進めると同時に、国民が利用しやすい司法制度を作り上げねばならないのだ。したがって、現在の法律家には、国民の身近な法律問題を取り組む活動が求められている。
国民が司法制度を利用し易くするためには、まず国民に司法制度の意義・役割を理解してもらい、制度が国民生活に結びついて機能するようにせねばならない。そのため、初等・中等教育における司法教育の導入が今後の課題といえる。
社労士もまた、国民の日常生活に密着した活動を行わなければ司法制度改革の中で淘汰される惧れがあることを我々は認識しておくべきである。
3.憲法の根幹
以上述べてきたように、社労士は国民生活に密着した法律家としての活動を行わなければならないのだが、これにあたっては、憲法論を理解しておく必要がある。ここではこれを、社労士の位置付けに絡めてなるべく易しく述べてみる。
憲法について論じるとき、まず第13条の規定を論じるべきであろう。
憲法第13条すべて国民は、個人として尊重される。生命・自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 何故なら、立法その他の国政の上で、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が最大の尊重を受けるのだということをはっきりさせておく必要があると私は考えているからである。
それでは、何故私がこの権利を最も重要であると認識しているかというと、この権利こそが憲法全体の究極の課題であると理解できるからである。
例えば、第9条で戦争の放棄が記され、これをもって日本国憲法を平和憲法であるとしている。しかし、なぜ戦争の放棄が必要なのかということを突き詰めて考えてみると、戦争の惨禍が我々の「幸福」を奪ってしまうからだと考えられる。つまり、第9条は第13条を実現するために存在するという見方もできるのだ。
また、権力が集中するとどうしても権力者が横暴になり、国民の「幸福」を奪ってしまうことになる。これを防ぐために司法・行政・立法を分けた「三権分立」の考え方が発生したのである。
これもやはり、第13条を保障する役割を担っている。
このように、憲法のあらゆる規定は突き詰めてみると、全て国民の「幸福」を保障するために設けられたものだということができよう。私が第13条こそが憲法の根幹だと考える理由はここにある。
4.「法の支配」とリーガルマインド
幸福追求権やその他の基本的人権を保護する憲法が最高法規だと考えるのが「法の支配」の思想である。もともと、専制君主による恣意的・専断的権力による支配を排除し、国民の幸福追求権等を保障しようとする思想であったのだが、現代では専制君主を国家権力あるいは行政府に置き換えればそのままあてはまる。
恣意的・専断的権力による支配を排除するためには、「適正な手続き」(第31条)が必要である。また、裁判所に「違憲審査権」(第81条)を認めて、立法や行政が憲法に違反しているか否かを常にチェックできる体制が採られている。これらが有効に機能してはじめて「法の支配」が完成するのである。
この適正な手続きを実現するために、我々社労士等の法律家が存在しているのだ。特に社労士は、憲法第25条で規定する「生存権」に直接関わる士業である。憲法の趣旨に反する行政処分が為された場合などには、手続きに疎い国民(顧客等)を代理して我々が適正な手続きを実現し、違憲状態を是正する使命を全うしなければならない。前述の通り、今後一層国民の自己責任が求められるようになる中、国民はより我々の手助けを必要とするようになるため、この使命は非常に重要なものとなる。
高度に複雑化した現代社会では国民の日常生活にも深く法律行為が関わってきている。例えば、国民年金の第三号被保険者の変更届にしても、あれだけ政府がさかんに広報活動を行ったにもかかわらず、内容を理解していないがために手続きを怠り、結果として無年金になってしまう人が多数出てくることとなった。今後も同様に法律の無知は許されず(保護されず)、より自己責任を追求されることになると、益々こうした事例は増加するであろう。こうした国民生活の不便を解消するために法律家が存在する。
しかしながら、何度も繰り返すが、現在の社労士の、どれだけの方がこの事実を認識しておられるのか。少なくとも私の知る限りにおいては皆無に近いようである。社会保険労務士も常にリーガルマインドを保持すべきではないか。前述の調査会報告の中で出た今後の他士業との関連も考慮に入れ、今一度考えてみていただきたい。
5.第13条の実現
さて、今一度第13条でいう「幸福」について考えてみよう。
勿論「幸福」のとらえかたは各人各様であるが、大多数の人に共通していえることは、「生きてこそ幸福になれる」ということだろう。したがって、幸福の基礎には「生命」が維持されているという前提がある。そして、この「生命」の維持のためには、憲法は二つの規定を設けている。
その一つが、「財産権の保護」(第29条)で、もう一つが「勤労の権利」(第27条)である。この二つの規定と「職業選択の自由」(第22条)とが一体となり、我が国の「資本主義」の骨格を築き上げているのである。
しかし、主に前者の「財産権の保護」によって生存を保障されている人、つまり財産の法的果実(地代、家賃や配当等)で暮らしていける人は国民のごく一部であり、大多数の人は「勤労」することによって、その生活を支えている(もっとも、勤労することもできない国民でも「最低限度の生活を営む権利−生存権」が第25条で保障されており、我が国の憲法では「生命」の尊重が貫徹されているが)。したがって、後者の「勤労の権利」の方がより重要な権利であるということができる。
また、このように、憲法は生命の維持を尊重するものであるが、ただ単に生命維持のみを目的としているのではなく、生命のより高い「質」もまた追求している。すなわち、「幸福」を追求することを保障している。生存権を保障した第25条の「最低限度の生活」の意味は、「健康で文化的な最低限度の生活」であると規定している。つまりこれは、「幸福を感じることができる」レベルの生活を指しているのであり、決して「生きるか死ぬかの限界」といったレベルのものではないと考えてよい。従って、より健康的で文化的な生活に向けて、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上・増進が国政上の最大の課題といえる。
では、いかにして「生存」の質を向上させるようにしているか。
前述の通り、大多数の人は「勤労の権利」によって生存を保障されているので、まず勤労条件を整備する必要がある。
このために、憲法は「勤労条件に関する基準」の立法化を命じ、さらに勤労労働者の「団結する権利」などの団体行動をする権利を保障した。これらの憲法の規定を具体化したものが、労働基準法、労働組合法、そして労働関係調整法のいわゆる労働三法なのである。
我々社労士は労働問題に深く関わる士業であるがゆえに、憲法の擁護者であるというのはこのためである。我々社労士が憲法で保障する「生存権」を保障するためには具体的にどのような行動をとるべきか以下に述べる。
6.手続きの適正化
「法の支配」の思想の下における「幸福追求権」実現のためには、その内容の実現はいうまでもなく、その実現のプロセスである「手続きの適正」化も保障されなければならない。
なぜなら、幸福を追求するための過程が恣意的に左右されることになると、最終目的である幸福そのものが本当の意味での幸福とは違ったものになってしまうのである。
この手続きの適正化とは、立法や司法の分野に限定されるわけではなく、当然に行政の分野にもあてはまりる。しかしながら、この分野での手続きの適正化については、長らく手をつけられることがなく放置されており、平成5年にようやく「行政手続法」が成立して、憲法の実現に向けた第一歩が踏み出されたばかりである。したがって、今後まだまだ手続き適正化に向けた活動を行う余地があり、この点でも我々社労士が果たすべき役割は大きい。
行政の手続きについてその適正さをチェックするためには、行政の持つ情報が、必要に応じて公開されるということが保障されていなければならない。なぜなら、適切な情報なくして手続きの適正さのチェックは不可能だからである。誤った情報に基づくチェックでは誤った結論しか導き出されないことは論を待たない。しかし、この情報公開についても我が国は先進国の中では著しく立ち後れており、ようやく国政レベルで「情報公開法」が成立する運びとなったばかりである。今後より広い範囲での情報公開が実現されねばならない。前述のグローバルスタンダードを確立するためにも重要な課題といえよう。
このように、「法の支配」の思想は、少しずつ実現されつつあるのだが、社会情勢の変化に比べるとその歩みは非常に遅々たるものである。それ故に現在の「行政の適正化」にはまだ多くの問題が残されているため、誰かがそれを補完しなければならない。そして、これを行うのは他ならぬ我々法律家なのだ。国家に任せていてはいつまでたっても本当に国民の幸福に寄与する行政手続きの適正化は実現しない。権力を握っている者が自らそれを制約することは有り得ないからである。一方、高度・複雑化した現代社会においては一般の国民が適正化に向けた行動をとれるほど法律知識を有しているわけでもない。そこで、法律家としての士業者の出番となるのである。
国民の幸福追求のため、行政手続きの適正さを確保する。このことからも、我々士業者は憲法擁護の担い手だということがおわかりいただけよう。
7.権利を実現する者
本来、国民の幸福は国民自身の手によって実現されるべきである。イェーリングも、その『権利のための闘争』という著書の中で、”国民に認められている基本的な権利(人権)は国民一人一人が自ら守っていかなければならない”と力説している。
しかし、前述の通り、国民一人一人が皆法律を理解し、その権利を実現するために闘えるわけではない。そこで、権利実現に必要な法律に精通している「法律家」が権利の擁護者として使命・役割を問われることになるのである。
では、我々社労士は法律家として何をなすべきか。
大多数の国民が幸福追求の権利を実現するための、「勤労」の分野及び「社会保障」の分野において、適切な法的支援を行うという使命・役割があるのだ。
しかし、残念ながらこのことを真に自覚し、その使命・役割を果たそうとしている社労士は、まだまだ少ない。その理由はいくつかあるだろうが、最大の理由は、社会保険労務士試験の試験科目の中に「憲法」がないからだと私は考えている。憲法を学習する機会がないため、「社会保険」や「労務」が、憲法の根幹である第13条実現のためにいかに重要な分野なのかについての憲法的レベルでの議論ができないでいるからであろう。
大多数の国民の最も根源的な権利である「生存権」、「勤労権」、ひいては「幸福追求の権利」の擁護者であるべき社労士がその自分達の使命や役割に気づかずに日常業務をこなしていることが何を意味するか考えてみていただきたい。
もちろん、現在の業務の意義を否定するものではない。ただ、それだけでは法律家として欠けているものがあるのだ。
あえていえば、本当の意味で国民の権利救済に役立っていないともいえよう。誠実に業務をこなし、顧客から満足されている社労士の方も私は大勢知っている。しかし、憲法の擁護者としての自覚を持たないで遂行する業務は、本来の社労士業務ではないと言いたい。
繰り返すが、一般の国民自身が権利の実現を達成できない以上、我々法律家が実行しなければならないのである。さもなくば、憲法の最高法規性や裁判所の違憲審査権など、「法の支配」のために必要な、基本的な制度は意味をなさないものとなる。国民一人一人の権利を守ろうとする日本国憲法を机上の空論にしないためにも、権利の擁護者であるべき我々がその自覚を持ち、自ら働きかけねばならないということを肝に銘じてほしい。
8.権利意識を持つ意味
こうした、権利の擁護者(社労士に限らず法律家全般)がその自覚を持たず、真に権利救済を行っていないという状況は、権力を握っている者にとっては誠に都合がよいものである。権力者はその権力の集中を欲し、また恣意的・専断的権力の行使を渇望するということは、歴史が証明している。しかも、現在の我が国の民主主義は下から働きかけて獲得したものではなく、上から与えられたものであるという弱点をもっている。つまり、伝統的に、下(国民主権の考え方には反するがあえて国民とする。)から権利を主張するという考えが芽生えにくいという風土なのである。それ故にこのような、権力者の習性に寛容である風土があたかも「美風」であるかのように行き渡っているのが現実だ。これは、一面で日本的文化・価値観の形成に重要な役割を果たしたという事実もあるのだが、こと国民の権利実現に関して言えば「害悪」以外の何物でもない。
古今東西、権力者は自分の権利を集中し、維持するため、国民には権利主張の手段を与えてこなかった。この権力者とは、現代では行政に置き換えらる。自分の意志を持たず、自分の意志を主張せず、自分の意思のために闘わない国民、そして権利擁護者の自覚を持たない社労士は、行政の担い手からは、権力維持にとり「都合のよい人々」ととらえられているのである。
憲法とは、国民が権利を主張し実現する重要な手段でもある。
国民又はその権利を擁護する者が憲法を学習すると、こうした「都合のよい人々」であったはずの者が権利意識に目覚め、行政にとっては都合が悪くなるため、行政はなるべく国民を憲法に触れさせないようにしている。社労士の試験科目に憲法が含まれていないのは、こうした理由によるものと考えられる。
従って、既に社労士となった皆さんも、あらためて憲法について学び、真に国民の権利救済を実現できるようにしていただきたいと願うものである。
9.権利擁護のための代理権
ところで、行政の担い手は「公務員」である。そして、憲法は、公務員の選定・罷免権は「国民固有の権利」であり、公務員は主権者である国民全体の「奉仕者」であると規定している(第15条)。
すなわち、行政の担い手は、自分達の権力のためにその権力を行使するのではなく、国民のために行使するべなのだ。それ故に、行政の担い手が(悪意のない場合も含めて)その奉仕者たる使命・役割を誤解し、恣意的・専断的に権力を行使しようとするときには、法律家が先頭に立ってこれを是正せねばならない。特に「社会保障」・「労務」の分野においてはその専門家である我々がその誤りを指摘し、正しい権力の行使に向けて指導する役割を果たさなければならない。さもなくば、憲法の精神はさらに後退することとなってしまう。
これまでに述べてきた社会保険労務士の使命・役割について考えると、昨年の社労士法一部改正により、「代理権」の一部拡大が認められたということも極めて当たり前のことであるといえよう。
しかし、この「代理権」を単なる行政からの「恩恵」と考えるか、それとも「法の支配」から国民がその権利を実現するために必然的に伴う社労士の「固有の権利」だと考えるかについては、民主主義をいかに考えるかということに直結する極めて重要な問題である。憲法第31条の「適正手続き」の実現には、社会保険労務士に権利擁護の使命と役割が期待され、またその責任を負う必要があるものと信じる。社会保険労務士の持つ代理権については後者の考え方ができるといってよい。
また、こうした視点から考えれば、労働基準法第 105条の3は承服しかねる規定である。労働条件についての労働者と使用者との間の紛争解決援助制度を設置するにあたり、「代理人」排除の運用を図るということは、憲法の意図する「国民の権利実現」の精神に相反するものであるといわざるをえないからである。国民の権利実現のためには代理制度は不可欠であり、これを認めないとするのは「法の支配」という考えに対する著しい認識不足だといわなければならない。社労士の使命・役割から照らしてみても、当然に代理人としてかかる事案に社労士も関与できるはずであり、またしなければならないのである。
法律知識が十分でない者同士が争ってみても、また、完全な外部者である都道府県労働基準局長(実務担当者)が援助を行ったところで本当に解決するものではない。少なくとも、国民生活に密着した社労士の代理は認められるべきものである。さもなくば、事件屋の介入を招く余地をつくることとなり、結局国民の利便性と相反する結果となるおそれがあるだろう。
同様に、社労士法第2条の労働争議介入禁止規定も撤廃されるべきものである。しかし、いずれもただ待っているだけではいつまでたっても状況は変わらない。権力者が自ら権力に制約を加えるようなことをしないのは先にも述べた通りである。
そこで、我々が国民の権利を実現するために、つまり完全な代理権を獲得して国民の利便性に寄与できるように、行動を起こさねばならないのである。
これは、法律家として特別な資格を与えられた我々の義務であると確信する。
10.憲法に由来する代理権
社労士に付与された代理権は、国民の権利を擁護するためのものである。従って、この代理権は憲法の根拠に基づくものであり、憲法に劣後する法律によってその原理を不当に曲げられてはならない。すなわち、代理権の本質は国民の幸福追求権を実現するための道具であり、国家権力がこの道具を国民から取り上げることは明らかな違憲行為である。三権分立の原則を貫けば、司法府がこの違憲行為を是正するべきなのだが、今日の我が国の司法府はその役割を果たしていないことは周知の事実である。
ここにも我が国の民主主義の弱さがあらわれているといえよう。だからこそ、我々が我々自身の手でこの権利を守ってゆかねばならないのだ。
与えられた形でできた憲法とはいえ、これに優先する法令はないのであり、これに反する行政行為は無効なのである。我々は自信を持って憲法で保障された権利を主張すればよい。
然るに、前述の代理権にかかる制約は放置されているのが現状である。法律家として我々にはこれを是正する使命があるのだが、その使命を負った者がその責任を果たさないとすれば、法律家としての存在価値を失ってしまうことになる。
社労士がその存在価値を失うことは、顧客を失うことにつながるということを認識しておられるだろうか。これはまさに社労士の存亡に係る重大な問題であるのだが、それ以前にこの問題を多くの社労士が認識されていないということ自体がやはり大きな問題であると私は受け止めている。
もちろん、これまで多くの社労士は憲法に触れる機会が少なかったためにこの問題意識を持たなかったということは承知しているので、これまで社労士が怠慢であったというつもりはない。
しかし、前述の通り我が国の司法制度が根幹から見直され、今後他業種との職域に関する問題が発生するようになった今となっては、もはやこの法律家としての義務の履行を避けて通ることはできない。
繰り返すが、今からでも憲法についての理解を深め、法律家としての社労士の役割について考えてみていただきたい。しかしながら、日常の業務に追われ、なかなか憲法の学習のためにまとまった時間をとれないというのが現実であろう。そこで私は、社労士会単位で学習会を行い、効率的に憲法についての理解を深める機会を設けることを提言する。日常業務に密着した実務に関する研修会も結構だが、もっと根本的な事柄を身につけることこそ優先すべき課題である。具体的には、年に2回程度の機会を設け、社労士資格を維持するためには少なくとも毎年1回の受講を義務づける形にするとよいだろう。
11.社労士制度の充実
社労士は労働社会保険制度の担い手であり、国民の幸福実現の担い手であることはこれまで述べた通りである。したがって、国民の幸福追求を促進するためには、社労士制度の充実を図る必要がある。
まず、東京会会長選挙の所信表明のなかでも提言したことであるが、社労士の資質を向上させるため、「労働社会保険研究所」なるものを創設したいと思う。これは、一定の得意分野を有する方に講師となっていただき、実務や諸法令に関する情報を共有しようとするものである。例えば、法改正の対応の仕方や助成金制度の活用の仕方など、1箇所にノウハウを集めて高め合うのは、社労士業界全体の利益につながるものと確信する。もちろん、この中で憲法についての理解を深めてもらうことも必須である。この制度が軌道に乗れば、後々司法修習制度同様、1年程度の義務化にしてもよい。
また、今後社労士となるべき人にも然るべき資質を備えてもらうことも必要である。すなわち、社労士試験制度を見直し、法律家として最低限必要な法律科目を追加し、法律家としての素養を身につけてから社労士となってもらうということである。先にも述べた通り、憲法を学ばねば真に国民の権利を実現することは難しい。憲法を含めた基本的諸法令に通じることではじめて社労士としての職務を全うできるというものだ。
さらに、現在行われている指定実務講習についても試験合格者は全員が受講せねばならないこととし、法律一般の知識を身につけてもらうことが望ましい。
こうして内部の改革を行うとともに、対外的な制度の充実も図る必要がある。
まず、目下懸案となっている社労士法第23条の改正が急務であろう。本条により加えられた社労士の代理権にかかる制限は、労使の円満な関係の創設あるいは修復を阻害する害悪以外の何物でもない。職業生活における幸福追求の道具を国民から奪っている同条は本来違憲立法審査によって排除されるべきものである。これを同法から削除するよう我々が働きかけることで、国民の幸福追求権に寄与するのみならず、社労士の存在意義を世間に知らしめることにもなるのである。
そもそも労働争議の解決のためには、当該労使の事情を熟知し、かつ労働諸法令を熟知している者すなわち社会保険労務士の適切なアドバイスが欠かせない。
12.社労士界の展望
以上述べてきたことを我々が実践できるか否かで今後の社労士界の将来は大きく変わるであろう。司法制度改革の波に飲まれて淘汰されてゆくか、あるいはこの波に乗り飛躍的な発展を遂げるかは我々一人一人の意識にかかっているのだ。決しておおげさな話をしているのでないことは、前述の「司法制度特別調査会報告」をお読みいただければわかるだろう。存亡の危機に立たされた司法書士は生き残りを賭けて極めて積極的に活動しているのである。
行政書士にしてもまた然り。隣接士業である我々がこのまま座していればたちまち職域を席捲されてしまうのは間違いない。
幸いなことに、最近になってようやく問題意識を持つ社労士の方が増えてきたように思う。例えば代理権獲得以後の代理権に関する討論の活発化などである。これまではせいぜい「代理権など獲得できるわけがない。」だとか「代理権など手に入れても意味がない。」といったような消極的な意見が聞かれるだけであったのだが、最近では前向きにこれを考える方が多くなっている。もっとも、代理権の論争についてはまだまだこれからという感があるが、良い傾向には違いない。
この機会に、改めて社労士と憲法のかかわりについても熟考してみてはいかがだろうか。社労士業務も現在よりも格段に幅が広がり、一層やりがいのあるものとなるだろう。